依織達は焦っていた。昼食後しばらく目を離していたら、こむぎの姿が見あたらないのだ。
探し始めてから、もう30分近く経つ。普段は呼べばすぐ来ていたのに、この状態はさすがに変だ。
「こっちもアイツに慣れてきたから、注意を怠ったか。もっと気をつけるべきだった」
一哉も珍しく焦りを顔に出している。
「…そういえば、こむぎちゃん、最近『探検ごっこ』をするようになっていたね」
瀬伊が呟いた。この家に来てしばらくは緊張していたらしく、あまり出歩かなかったこむぎだが、最近はかなり慣れてきたらしく、いろんな部屋の探検をする
ようになっていた。
もちろん、いつもは必ず四人のうちの誰かに声を掛け、一緒に探検をしていたのだが、そろそろ一人で行きたがってもおかしくない。
「…もしかして、上かな?」
普段は一階と地下の部屋ばかり使っていた。二階はほとんど行ったことがないので、気になっていたかもしれない。
「よし、行ってみよう」
彼らは一斉に階段を駆け上がった。
「端から覗いていこう」
「じゃ、二手に別れようか…って、え?」
「鈴原の部屋、開いてる…」
いつもは閉まったままのむぎの部屋の扉が少し開いている。一番近かった一哉が、駆け寄って扉を開けた。
「こむぎ、いたのか……っ!?」
「一哉、どうした」
「ちびむぎ、何かあったんか?」
不自然に固まっている一哉の後ろから、依織達も彼を押しのけるようにして部屋へ入った。
彼らは見た。
低い位置にある小さなドレッサーは、鏡の左右の引き出しが開けられて、中に入っていた化粧品が散らばっている。その前に座っていたこむぎがこっちを向い
て笑っていた。その満面の笑顔を。
「おにいちゃんたち! ね、むぎ、きれい?」
「うっ……」
四人は思わず立ちつくした。なんと言えばいいのだろう。一人はともかく、言葉にはあまり不自由しない三人も思わず立ちつくした。それほどいつもの顔とは
違いすぎていた。
塗りたくられたファンデーションは、髪の毛にもところどころ付いている。マスカラは目の周りにつけようとしたが当然上手くできなかったらしく、ほとんど
パンダのようだ。唇はそこにあった口紅の中で一番赤いものを使って、唇とその周りをぐりぐりと塗りたくっていたので、控えめに言って辛子明太子そっくり
だ。
「な、なんだそれ!」
「……プッ」
麻生と瀬伊が同時に声を出した。引きつった麻生の横では思いっきり吹き出した瀬伊が慌てて顔を背けている。声は出さないようにしているけど、肩が小刻み
に震えたままだ。それを見たこむぎは、不思議そうに一哉を見た。
「かずやおにいちゃん。むぎ、ヘン?」
「あ……っと、そうだな。ヘンでないとは……」
普段ならもう少しマシな答えを言えるだろう一哉もまだ頭が働いていないのか、しどろもどろだ。そんな一哉を見ていたこむぎの口が見る見るへの字になっ
た。
「……ヘン、なの?……」
「ああ、いや、……なんというか」
依織の言葉をさえぎって、こむぎが叫んだ。
「おにいちゃんたち、だいっっきらい!」
「こむぎちゃん、いいかい?」
依織が控えめなノックをして部屋にはいると、こむぎはうずくまって下を向いていた。
「こむぎちゃん」
返事はない。振り向かずに全身で拒否を伝えているこむぎの横に静かに腰を下ろすと、
「お化粧、落とそうか」
と声を掛けた。こむぎは激しく首を振っている。依織は苦笑して、もう一度ゆっくり話しかけた。
「そのままだと、肌が傷むよ」
「いいもん。むぎ、どうせヘンなんだもん。だから、なにもしないもん」
こむぎは口をぎゅっと結んだままの固い声だ。
「駄目だよ。せっかくこむぎちゃんは可愛いのに、それじゃキレイになれない」
「むぎ、キレイじゃないよ」
「そんなことないよ。ほら、こっちを向いてごらん」
渋々顔を上げたこむぎに、依織は優しく笑いかけた。
「こむぎちゃんは、絶対にキレイになる。僕には分かる。だから、大人になったときに一番キレイでいられるように、今はお化粧を落としておこう。大人の女の
人もそうしているんだよ」
こむぎはしばらく迷っていたが、クレンジングのボトルやコットンを見せられて、ようやく、こくんと頷いた。
丁寧に化粧を落としきった後、依織は柔らかいタオルで、こむぎの顔の水分を優しく取ってやった。こむぎがタオルに顔を押しつける。
「…えへへ。きもちいい〜」
「やっと笑顔になったね。すっきりしたかい」
「うん! ……でもね、むぎ、ホントはちゃんとキレイになりたかったの…」
元気な笑顔がとたんに曇った。
「ああ、分かっているよ。でも、きれいな女の人になるためには、時間がいるときもあるんだよ。大人になったら、僕が上手なお化粧の仕方を教えてあげるか
ら。その
ときまで待てるかい?」
「むぎ、ホントにキレイになれる?」
依織は、不安そうなこむぎの目を真っ直ぐに見た。
「ああ、絶対。僕がこむぎちゃんに嘘をついたことがある?」
「……ううん、ない。じゃあ、ぜったい、ぜったい、むぎにおけしょう、おしえてね!」
「もちろん。こむぎちゃんをキレイにするのは、僕の役目だからね」
「ありがと、いおりおにいちゃん」
こむぎが笑って、依織の首に飛びついた。
しばらく嬉しそうに飛び跳ねていたこむぎが、ふと立ち止まった。
「……あれ? そういえば、いおりおにいちゃんが、おけしょう、おしえてくれるの?」
「うん? そうだよ」
「………もしかして、いおりおにいちゃんって、おんなのひと?」
『お化粧には詳しいが、依織は男だ』ということをこむぎが納
得するのに、それから数日かかったようである。