「あ。これ!」
こむぎが小さく声を上げた。不意に聞こえてきたのは、鈴を転がすような柔らかな音色。一つ聞こえてきたその音色に、次の音が重なり合う。
「……ああ、虫の声」
「ね?せいくん、きれいでしょ?」
囁くような声を交わし合う。いつも早い時間に家に入ってしまうこむぎは、これほどの虫の音を初めて聞いたようだ。
「うん、すごい」
「えへへ、むぎもそうおもったの。いいこえだねー。あ、むぎね、これがすき」
「この声?」
「さいしょのも、あとからのもすき。でもね、こっちのがいいの」
「この声はスズムシ……だったかな。こむぎちゃん、いい耳してるね」
虫の声を聴き分けて話すこむぎに、瀬伊は驚いた。
家政婦仕事をしているとき、気分がいいとむぎはよく歌っていた。そんなとき、いつも少し音を外れてしま
うのを聴
いて、瀬伊はよくからかっていたものだけど、瀬伊の弾く曲は、直感的に豊かなイメージで聴き取っていた。きっともともと耳はいいのだろうと思っていたが、
小さな頃から、
その要素があったということか。
「くしゅん!」
しばらく虫の音に浸っていた二人だったが、くしゃみの後、寒そうに少し体を震わせたこむぎを見て、瀬伊が立ち上がった。
「さあ、こむぎちゃん。中へ入ろう?」
「やだ! まだきくもん」
「だーめ。風邪引いちゃうといけないからね。代わりに、僕が後でピアノを弾いてあげるよ」
「ホント!? じゃあ、中へ入る」
機嫌良く立ち上がったこむぎを中へ入れて、瀬伊はもう一度庭を見回して、耳を澄ませた。ピアノでこの音を再現するのは、ちょっと難しいけど楽しそうだ。
早
速浮かんだ曲を頭の中でさらってみる。うん、いい感じ。カノンのように音が重なり、広がっていく。
今夜お風呂から上がったら、一番にこむぎに聴かせてあげよう。大好きな虫たちの合唱が彼女の耳に届くだろうか。どんな顔で演奏を聴いてくれる
かと想像するだけでも楽しくなる。
「せいくん、はやくー!」
「うん、今行くよ」
笑いながら扉を開けた瀬伊は、こむぎの待つリビングへと入っていった。
その夜、弾んだ笑い声に重なって、虫たちと競演するようなピアノの音が、窓から外にこぼれ落ちていた。