お勉強

「一哉。……それは一体なんのつもりだい?」
 2Bの鉛筆。大きなマス目のノート。『かずとすうじ』とでかでかと書かれた幼児向けの学習教材。それらをドサドサとテーブルに並べている一哉に、依織は 思わず聞いた。一哉は涼しい顔で答えた。
「勉強用だ。……こむぎの、な」

 

 こむぎが、一哉達のところにやってきてから一週間。一哉達の生活は、明らかに変わってきた。何にでも興味を示し、教えてやると嬉しそうに笑うこむ ぎに、みんなはこぞって構いたがった。
「こむぎちゃん、僕が絵本を読んであげようか。きれいな絵の本を見つけたんだよ」
「ちびむぎ。おもしろいおもちゃ借りてきたぞ。一緒に遊ぼう。な」
「こむぎちゃん、こっちへおいで。ピアノを弾いてあげるよ」
 そんな中、一哉は今ひとつ、戸惑っていた。こむぎに何をしてあげたらよいのか分からないのだ。そうしたある日。

「ちびむぎー。ほら、みやげだ。きれいなアメだろ。これ、食べるか」
 麻生が、友人にもらったというお菓子を持って帰ってきた。
「うわあ、きれい! おにいちゃんたちも、いっしょにたべよ?」
 ガラスびんにいっぱい詰まった色とりどりのキャンディーを見て、こむぎは満面の笑みを浮かべた。みんなと一緒にテーブルにつき、びんを傾けてキャン ディーを出したこむぎは、一生懸命にそれを数え始めた。
「えーと、1,2,…3。…んーと、4……5。できた! はい、おにいちゃんたちに1こずつ」
 キャンディーを一つずつ配って歩くこむぎの姿に、思わず誰もが顔がほころばせた。
「えーとえーと、むぎ、どっちにしよう」
 パイン味とオレンジ味で迷っているこむぎを見て、麻生が笑って言った。
「ちびむぎ。1つだけじゃなくて、もっと食ってもいいんだぜ。ほら」
 自分の前に並べられたキャンディーを見て、こむぎは嬉しそうに声を上げた。
「わあ、むぎ2こだ。あさきおにいちゃん1こだから、2こと1こで3こだね」
「おっ、えらいぞ、ちびむぎ。それ『たしざん』って言うんだ。2個と1個を合わせることは、『2たす1』って言うんだぞ」
 こむぎの発言に驚いた麻生は、その小さな頭をくしゃりとなでた。こむぎは目を丸くした。
「たしざん? むぎ、おべんきょうできたの?」
「そうだよ。かしこいね、こむぎちゃん」
 依織が微笑んでほめたので、こむぎはますます笑顔になった。それを見て、麻生が目の前にキャンディーを追加する。
「じゃあ、これやってみるか。3個と1個でいくつだ?」
「えーっと、3…たす1? は…4!」
「そうそう、すごいよ、こむぎちゃん」
 瀬伊も笑ってこむぎをほめたので、得意になったこむぎは、その後はクッキーを数えたり、コップを並べたりして、夢中になって遊んでいた。そんなこむぎを 一哉はじっと見ていたのだが。

 

「まさか、こうくるとは、ね…」
 呆れた顔で自分を見る依織を、一哉は平然と見返した。
「何か問題あるか? 今から勉強しておけば、あいつの将来のためになるに違いない」
「だからって、御堂。まだちびむぎは4歳だぞ。そんな頃から勉強なんかさせてどうすんだよ」
 麻生も思わず言い返した。目の前のこむぎは、不思議そうにノートや鉛筆を眺めている。
「だからなんだ? 今こいつは伸び盛りだ。このチャンスを生かさないでどうするんだ」
 自信満々に言い切った一哉に、瀬伊も口を出す。
「でもさ、一哉。肝心のこむぎちゃんがやる気にならないとどうしようもないんじゃない?」
「そんなものは関係ない。…ほら、こむぎ。これやってみるか」
 一哉はこむぎの目の前で、『かずとすうじ』の本を開いた。中にはチューリップやチョウチョなど、可愛らしい絵がいくつも描かれている。
「わあ、おはなだ」
 こむぎはにっこり笑った。それを見た一哉も笑い、こむぎに削ったばかりの鉛筆を差し出した。
「ほら、これを持って」
 ここの数字をなぞってみろ…と一哉が言い終わる前に、こむぎは鉛筆を握った。そして。
「おはな、おはな〜」
と言いながら、こむぎはチューリップの上を塗りつぶし始めた。
「わっ、馬鹿。違う、そうじゃなくて」
「なに、かずやおにいちゃん」
「そこじゃなくて、こっちの四角の中だ」
「これ?」
 絵の下にある薄く数字が印刷されている四角い囲みを指さされて、こむぎは首を傾げた。
「絵じゃなくて、こっちをなぞるんだ」
「……むぎ、おはなをぬりたいんだもん」
 口をへの字にして首を振るこむぎに、一哉は言葉に詰まった。周りから、くっくっと笑い声が聞こえてくる。
「御堂、ちびむぎはお絵かきしたいんだとさ」
 麻生の言葉に答えず、しばらく考えた一哉はキャンディーのびんを持ってきた。目を輝かすこむぎの前で、さりげなく『かずとすうじ』の本をテーブルの端へ と追いやる。
「よし、こむぎ。またアメのたし算しようか」
「ふーん?」
 よく分からないといった顔をしているこむぎの前に、キャンディーを並べる。
「1たす2はなんだ?」
「えーっと…?」
「この前もやっていただろう。……じゃあ、そうだな。おまえが1個アメを持っていました。俺から2個アメをもらったら、おまえの分は何個になる?」
「あ、そっか。えーっとね。…3こ!」
「そうだ。よく分かったな」
 やっと納得したという顔のこむぎにホッとしながら、一哉はこむぎの頭を撫でた。これなら、次もできそうだ。
「じゃあ、次の問題だ。おまえがアメを2個持っていました。そこで俺から、3個アメをもらいました。さあ、どうなる?」
「んーっとねー。……むぎ、おなかいっぱいになる!」

 

  それから、一哉は決してこむぎに無理に勉強をやらせることはなくなった。会社でも部下の『できない』に少しだけ寛容になったという――。









あとがき
 こむぎ話第9弾です。某ソウルメイト様のところで、『こどもの日スペシャル』を見たため、「おーっ、そうか。こむぎだ!」と急遽アップを決定。思いっき りギャグですが、この話はほぼ実話です。4歳ってこんなもの。(笑)
 一哉は、案外親馬鹿になりそうですね。まだ生まれてくる前から「子どものためになる」といろんなグッズ集めて、むぎに叱られてたりして。(妄想は楽しい なー♪)
back to index
template : A Moveable Feast