君ノ記憶

「何やっているんだろうねえ、ボクは……」
 花が部屋から出ていった後、思わず孔明は長いため息をついた。

 さっき、花の手に触れていた。
 まだ、孔明が亮と呼ばれていた頃に出会った花の手は、自分の手よりもずっと大きかった。花を守るつもりで手をつないでも、逆に自分の手が包まれてしまう という事実が切なかった。
 今の自分は、花より年上だ。武官でもなく鍛えていない手は、特に大きいわけではない。しかし、花の手はこの手にすっぽりと収まった。温かく、柔らかな感 触がこの手に残る。
「……柔らかかったな」
 思わず、素直な感想がこぼれた。前に膝枕を頼んだときも、緩く抱きしめたときも、いつも触れると驚くほど柔らかく温かな感触が返ってくる。

 というか、感触って――。

 待て待て待て。孔明は怒濤のように蘇る記憶を押しとどめようとしたが、遅かった。花と近づいたときの記憶が鮮やかに脳内に浮かび上がる。

 膝枕をしてもらうときに、いつも真っ先に目に入る太腿の白さ。滑らかな肌と頭を載せると柔らかく受け止めてくれる弾力。額に口づけようと髪を上げ たときの、さらりと指を滑る手触り。ふわりと鼻先を掠めた甘い香り。腕の中に、緩く閉じこめたときの耳の赤さ。伏せた睫毛は小さく震えていて――――。

 孔明の類い希な記憶力は、そのときの記憶を事実に基づいて正確に再現した。

「我ながら、どうしてこう、ここまで完璧に再現しちゃうかな……」
 孔明は、頭を抱えて机に突っ伏した。自分のやっていることに説明がつかない。離れようとしているのに、わざわざ思い出すなんて馬鹿も良いところだ。

 そもそも、自分から花に触れているということ自体がおかしいのだ。
 隆中の山の中で花と出会ったとき、彼女は、元の世界へ帰さなくてはならない存在だと分かった。十年思い続けた相手を思いきらなければいけない。そう思う のは身を切られるような痛みを伴うが、花のためを思えばその選択が最良だ。
 そのためには、彼女を師匠として導くようにはするものの、必要以上の接触は互いのためにも避けるべきである。
 そう理性は主張しているのに、花を前にすると、あっけなくそんな言葉は吹き飛んでしまう。

 考えるのは、いかにして自然に花に触れるかということ。
 どうしたら、彼女をおびえさせず、警戒心をもたせずに近づくことができるか。
 また彼女の様子を見ながら、自分の欲を気づかれないように、どう上手く離れるか。
 そんな小手先の技に、伏龍とも呼ばれた自分の頭脳を全開にしている。
 戦略を無視して、戦術だけで動いているようなものだ。

 玄徳軍の軍師として、毎日戦略を立て続けているというのに、全く何をしているのだろう。
でも、どうあっても止められないのだ。

「もう少し、理性的だと思っていたんだけどな……」
 思わず自分に苦笑する。
 十年の間、想いを消すことも減らすこともできず、ただただ育てることしかできなかった。
 今更、この想いを無くすことはできない。けれど、このまま彼女に気づかれずに隠し通すことはできる。
 だから、少しは自分のために花の記憶を残しておこう。
 彼女が帰った後、自分はこの国を導き続ける。そのとき、自分が立ち続けるための拠り所としよう。
 このまま一人、心の中で大切に彼女を温めていく。それだけでいいから。

 

 花が帰るそのときまで、ただ、師匠であり続ける。










あとがき
 師匠×花の三作目。前作の孔明視点となっています。
 師匠、十分理性的だから! あれだけ花を「元の世界へ戻さなくては」と思っていたくせに、さんざん触れてくる師匠のことを考えていたら、つい迸ってしま いました。あと、あの寝ている花に触れるのをためらう師匠とか。理性と想いの狭間にいる師匠が、焦れったくて愛しいです。
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