あたしは、思わず顔がにやけるのを押さえられず、夏美を見た。今日、あたしの耳にきらりと光っているのは、小さなイヤリング。小ぶりのダイヤとピ
ンクダイヤで三日月のラインを形作っているのが、すごく可愛くて、あたしは一目で気に入った。
「クレセントムーンっていうんだって」
「へー。それ、御堂さんがプレゼントしてくれたの」
「そうなんだ。あたしは『ピアスしてみたいな』って言っただけなんだけどね……」
その一言を一哉に言ったら、断固反対されたのだ。
「えー、ピアスって、いろんなデザインがあって可愛くない?」
「それは、別に他のアクセサリーでもいいだろう。大体耳に穴も空けていないのにどうするんだ」
「あっ、それは大丈夫。ピアスホール空けるのそんなに難しくないって。夏美も手伝ってくれるって言うし」
ふうとため息をついた一哉くんは、あたしを見た。まっすぐ自分を見つめるその視線の強さにちょっとうろたえる。
「な、何よ」
「ピアスは、絶対駄目だ。…大体、おまえの体に最初の傷を付けるのは、この俺だからな」
「なっ…!」
ニヤリと笑ったその顔は、不穏な台詞を言っているのに妙に格好良く見えて、あたしは不覚にも言葉に詰まってしまった。そんなあたしを見て更に笑った一哉
く
んは、ぽんぽんとあたしの頭を軽く叩くと、部屋へ戻っていった。
「ね? ひどいこと言うよねー、一哉くん」
「はあ、まあ……」
隣の夏美の顔も、真っ赤だ。どうしたんだろう。暑いのかな? うーん、風邪とかひいてなきゃいいけど。
「でも、よかったね、むぎ。アンタにすごく似合っているよ」
「ありがと、夏美」
親友の笑顔と嬉しい言葉に、あたしも嬉しくなってしまって、心から夏美にお礼を言った。
「あれ? むぎちゃん、戻ってたの?」
洗濯部屋で棚の物を出していると、ひょっこり扉を開けて、瀬伊くんが顔を出した。
「あ、瀬伊くん、お帰り」
ひょこひょこと近づいてきた瀬伊くんは、「ただいま♪」と、急にあたしの後ろから抱きついてきた。
「ひゃあっ! 瀬伊くん、何するの! びっくりするじゃない」
「気にしないで。ただのスキンシップだよ」
「気にするよ! もう。皺になったら一哉くんに怒られちゃうじゃん」
いつものことと分かっているのに、やっぱりいつもと同じように驚いてしまうあたしを見てくすくす笑っていた瀬伊くんが、「ところで」と話しかけてきた。
「むぎちゃん、一哉と何かあったの?」
「へ? 何で」
「だって、右のイヤリングだけ外してるじゃん」
………え?
一瞬頭が真っ白になった。おそるおそる手をのばして触れてみると、左には冷たい宝石の感触を感じるのに、右には何もない。柔らかな耳たぶが触れるだけ
だ。
あ、あたし……落としちゃった?
あたしは、真っ青になった。
「う、う、う、嘘―!!」
慌てて、鏡を覗き込む。やはり、そこにイヤリングは見当たらなかった。片方しかないイヤリングが左耳で品良く納まっているのが見えるだけだ。
ど、どこに落としたの!? 焦って、床を見渡してみた。落ちているものは何もない。しゃがみ込んで、洗濯機の下も覗いてみた。普段から掃除が行き届いて
い
るそこにも、何もない。かすかに見えるのは、糸くずぐらいだ。
「むぎちゃん、どうしたの?」
瀬伊くんに聞かれても、返事をする心の余裕がない。
「え、あ、ちょっとね」
引きつった笑みを返しながら、あたしはそこを駆け出した。
次に行ったのは、一哉くんの部屋だった。今日、家の近くの交差点で夏美がイヤリングを見ている。あれから真っ直ぐ帰ってきて、朝できなかった一哉
く
んの部屋の片づけをしていたんだから、あるとしたらここのはずだ。
「えーっと、ここに立って、机の整理をして、この棚に入れたんだよね。…それで、こっちに来たから…」
掃除のときと同じ動線をたどって探しているつもりなのに、なかなか見つからない。
「あった!」
きらりと光を反射するものがあったのに、拾ってみたらただのクリップで、「一哉君の馬鹿! 何でこんなもの落としとくのよ」と思わず八つ当たりしてし
まった。掃除をしたのはあたしなのに。
机の上、書棚の隙間。いくら探しても見つからない。頭に血が上り、余計にものが考えられなくなってきた。
「駄目だ。…少し落ち着こう」
動悸の激しくなる胸を押さえて、ダイニングへ入っていくと、まだそこに瀬伊くんが立っていた。
「さっきから、どうしたの、むぎちゃん? 急におなかでも痛くなったの?」
「え、あ、別にどうもしないよ? 急に頼まれていたことを思い出してさ。あたしって、うっかりしてるよね〜。あははは」
適当にごまかしてみる。顔が引きつっているのは自覚済みだけど、瀬伊くんにバレたら、どんなことになるのか分からない。必死に演技したつもりなのに、あ
ま
りに分かりやすすぎたのか、あっさり瀬伊くんから一言。
「なくしたの? イヤリング」
「うっ……」
直球に返す言葉もない。
「瀬伊くん。お願い、黙ってて! 一哉くんに知られたくないの」
「えー。でもさ、絶対バレるよ?」
「大丈夫。それまでには絶対見つけるから」
あたしの必死の面持ちに心が動かされたのか、瀬伊くんは思わず苦笑した。
「……まあ、いいけど。じゃあ、僕も探してあげるよ」
「ありがと、瀬伊くん」
その後の嵐に気づかず、あたしは瀬伊くんに感謝した。
「うーん、ここにもないなあ…」
玄関横の植え込みをごそごそ探っていたら、
「何がだ」
後ろから聞き慣れた声がして、あたしはびくっとした。
「うわっ。……あ、一哉くん。何かな?」
「おまえこそなんだ? こんなところで」
「い、いやあ、この辺にナメクジが多いって聞いて……」
……苦しい。苦しいよ、瀬伊くん。
見つかったときの言い訳を、瀬伊くんがいくつか考えてくれたけど、一哉くんをごまかせそうなものは少ない気がする……。
案の定、一哉くんは怪訝な顔をしている。
「そうやって、いつでも見えるところにナメクジはいるのか?」
「……いないかもしれない」
「……おまえな。もう少し効率のいい方法考えろよ。駆除する薬でも何でも買えばいいから」
思いっきり呆れた顔をしながらも、一哉くんが目元を和らげてあたしを見た。
「何かできることがあったら言えよ。ご主人様が手伝ってやる」
「一哉くんが、ナメクジ退治?」
「いいぜ。有能な家政婦だけで無理そうなら、一緒にやってやるよ」
ただ礼はたっぷりしてもらうからなと言って笑っている一哉くんはすごく優しくて、あたしはますます焦ってしまう。
早く、早く見つけなきゃ。
「うーん、なかなか見つからないね」
「こんなに探しているのに……。どうして見つからないの〜〜」
今日で三日、まだイヤリングは見つからない。
一哉くんの部屋はもとより、家中の大掃除をする勢いで探しているし、夏美と別れた交差点から家までの道のり
も、もう何度もたどっている。あんまり下を向いて一生懸命歩いているから、電柱にぶつかったことも一度や二度じゃない。
一哉くんにバレないように気を遣い
ながらこんなことをしていると、ゆっくり話す時間もとれなくて、あたし自身、寂しくて仕方ない。
「どうしよう……」
情けなくて、自分に泣きたくなる。
おまえには、アクセサリーなんてなくてもいいんだと言われて、内心すごく嬉しかった。だからすっぱり諦めたのに、不意に一哉くんが「ほら、やる
よ」とプレゼントしてくれ
た
のだ。「お前に似合わないと言ったわけじゃないからな」なんて言いながらも、あたしが見てたデザインと似た物をちゃんと選んでくれて。
気持ちが加速度をつけて落ち込んでいく。
すごく嬉しくて、大切にしたいと思っていたのに。
つけた後は、いつもクロスできれいに磨いて、ケースに閉まっていた。一哉くんの気もちを形にしたようなものだったから。
でも、それをなくしちゃったんだ。
うつむいてるあたしの前に、瀬伊くんがかがみ込んだ。
「むぎちゃん。……もう、一哉にちゃんと話したら?」
「やだ」
「それくらいで怒るようなヤツなら、別れちゃいなよ」
「別れない」
「ふうん。一哉なら、またいくらでもむぎちゃんに買ってくれると思うけどな?」
「……うん。でも」
嫌なんだ、あたしが。あたしは顔を上げて、瀬伊くんの方を向いた。
「まだ諦めないよ。もう少しがんばるね。……瀬伊くんは、もういいよ。ありがとう、今までつきあってくれて」
瀬伊くんは、ふうとため息をついて笑った。
「むぎちゃんって、ホント頑固だよね」
「えー。そうかなあ?」
「うん、ホントホント」
そんな話をしていたら、ガチャリと玄関で音がした。ぱっとドアの方をふり返ると、聞き慣れた「ただいま」の声。
「あ、一哉くんだ」
「じゃあね、むぎちゃん。一哉に言えなかったら、僕が言ってあげてもいいよ」
「瀬伊くん!」
きれいにウインクして、瀬伊くんは出ていった。入れ替わり、ダイニングに入ってきたのは、どこか不機嫌そうな一哉くん。
「おかえり、一哉くん」
「…ただいま。一宮と何の話をしていたんだ」
「な、何でもないよ。 それじゃ、あたし、買い物に行ってくるね」
危ない危ない、早くここを出なくちゃ。何か言いたそうな一哉くんの視線を振り切り、あたしは玄関へ向かった。
小さなバッグを持って、見慣れた道をとぼとぼ歩く。
ここも、もう何回探したか分からない。ホントにどこへ行ったんだろう……。
もし、本当に道に落とし
たんだとしたら、あんな小さな物が見つかる方がおかしいかもしれない。でも、どんなことをしてでも見つけたいよ。
「車にひかれちゃったのかな…」
口に出してみると、本当のような気がしてきた。
もしかしたら、道の端っこで欠片でも見つかるかもしれない。その考えが急に膨らんでいても立ってもいられな
くなったあたしに、一哉くんの声は聞こえていなかった。
「むぎ、財布忘れて…って、危ない!」
道路脇でしゃがみ込もうとしたとき、突然強い力で腕を引っ張られた。勢い余って倒れ込んだその横を、大きめのワゴン車が走り抜けていく。
「へ、車……? あ、ありが」
「この馬鹿! なにふらふら道路に飛び出してんだ!!」
気づいたら、あたしは一哉くんに抱きしめられていて。何が起こったかよく分からず、とりあえずお礼を言おうとしたら、思いっきり怒鳴られた。目の前に
は、目をつり上げた一哉くん。しかも相当怒っている。
「おまえは、道路に飛び出してはいけないと習わなかったのか! 危険とは何か、わかんねぇのかよ」
そうして、しばらく怒鳴りつけられた後、さすがに周りの目に気づいた一哉くんによって、腕をつかんだまま、ぐいぐい家まで引っ張られていった。
「あれ? どうしたの、二人とも」
リビングから顔を出した瀬伊くんを無視して、あたしは一哉くんの部屋へ連れ込まれた。
「……それで? どうしたんだ」
部屋のベッドに座らされて、目の前の一哉くんが言い出した言葉は意外なものだった。
「……えっと、どうしたって…?」
「俺に分からないとでも思っていたのか。おまえ、この3日ほどずっと何か考え込んでいるじゃないか」
ホントに驚いた。一哉くん、気づいてたんだ。あたしの様子がおかしいってことに。
「いいから、言ってみろ。ご主人様が何とかできるかもしれないぜ」
足りない頭で考える前にちゃんと言えと、口は悪いけど、あたしのことを本気で心配してくれてるのが、その声からも伝わってくる。でも、だからこそせっか
く
のプレゼン
トをなくしてしまったなんて言えなくて、あたしは、しらを切ることにした。
「あの、でも、ホント何もないの。あの時は、なんかふらついちゃって。あ、あたし、疲れてるのかな〜、あはは」
「嘘をつくな」
ぴしゃりと言い切った一哉くんに、思わず声が止まった。あたしを見る彼の目が険しくなる。
「おまえ、そんな言い訳が通じるとでも思っているのか。俺をごまかせるとでも?」
その声にびくっと身をすくめた。これは、本気で怒っている。
「あのとき、俺がどんな想いをしたか、まだ分かんねえのかよ。……それとも、俺に言えないようなことなのか?」
ドキリとした。あたしの一瞬の沈黙をどうとったのか、一哉くんの眉が上がる。
「……そうなのか? むぎ」
近づく彼の手に思わず目をぎゅっと閉じた。頬にそっと手が触れる。
「もしかして……一宮か?」
「へ、瀬伊くん?」
突然出てきた名前にびっくりした。もしかして、もうばれちゃってるの?
「ひどい! あれほど言わないでって言っといたのに、もう言っちゃったんだ」
「ひどいって、おまえ。……本当なのか?」
「う、うん。……ごめん、一哉くんに言えなくて」
見上げると、一哉くんはあたしに手を差し出したまま、呆然としている。
やっぱり、彼氏からのプレゼントを無くすなんて思いもよらないよね……。
微かに顰めた眉と見開いた目から、一哉くんの痛みが伝わってくるようで、あたしは、改めて申し訳
なく
思った。
「本当にごめんなさい。……やっぱり、怒っているよね…?」
「怒っているというか……。おまえが、本当に決めたというなら……。でも……」
ぎりっと唇を噛みしめた後、不意に一哉くんに抱きしめられた。痛みすら感じるくらい、とても強い力で。首筋に息がかかる。耳元で掠れた声がした。
「……むぎ。本当に、もうダメなのか……?」
熱い声。熱い腕。その温度にクラクラする。
「一哉くん? ダメって、あの、……許してくれるの? イヤリング」
その一言に、時が止まった。
「……は?」
「……あれ?」
一哉くんは、あたしを見た。あたしも一哉くんを見て。
「むぎ。……どういうことか、説明してもらおう」
「え? …だから、イヤリング片方なくしちゃったってこと、瀬伊くんから聞いたんでしょ? 本当にごめんなさい。ずっとずっと一生懸命探してたんだけど、
どうしても見つからなくて。あんなに大事にしてたのに、ホントに…」
言ってるうちに、涙がにじんできた。泣くな、あたし! 自分がなくしてしまったんだから、泣くなんて卑怯だよ。
ヒクヒクする喉を何度かこらえて告白し終わると、一哉くんは、ふぅ〜〜っと長いため息をついた。
「あ、あの、お詫びっていうのもヘンだけど、何でもするから。だから」
「…バーカ」
「一哉くん?」
「バカバカバーカ!」
「はあ!? どうしてこの会話の流れでそうなるのよ。しかも3回も言った!」
必死の告白だったのにあんまりな答えを聞いて、きーってキレ始めたあたしを、もう一度、一哉くんが抱きしめた。バタバタ暴れるあたしの耳元で
「…よかった」と微かに聞こえたような気がした。
「それで、3日前からおかしかったのか」
一哉くんの腕の中で、もう一度落ち着いてことの顛末を話した。
「うん。何とかして見つけたくて、がんばってたの。家の中も思いつくとこみんな探したし、道も随分探したんだけど……」
「そんなもの、早く言えばよかったのに。同じ物ならすぐ手に入る」
呆れた表情の一哉くんに、あたしは首を振る。
「だって、あれがよかったんだもん。一哉くんがくれたあのイヤリングが一番なの。あたしが大金持ちなら、人でも機械でも何でも使って、あの道路と家の中に
あるものぜーんぶ拾ってふるい
にかけて、あのイヤリングを見つけだすのに」
手をぐっと握りしめて話すあたしを見ていた一哉くんは、ひどく優しい顔になった。
「おまえって、ときどきすごい殺し文句言うよな」
「へ? なに」
「……いいや。なあ、大金持ちになるか? 御堂に嫁げば、そんなものすぐだぞ」
「え、あ、それって……」
突然目をのぞき込んできて真顔で言う一哉くんの突然の言葉に、あたしは真っ赤になった。そんなあたしを見て、一哉くんが吹き出した。あ、あたしはホント
にびっく
りしたのに! くつくつ笑っている彼を、思いっきりにらみつける。
「…ほら、もう、一哉くんってば、またお仕事あるんでしょ? 早く始めなよ」
「ああ、そうだな」
まだ笑いながら、一哉くんはアタッシュケースを取り出して、中から書類を取り出した。その途端、ころんと何か光る物が転がり落ちた。
「あれ? 何か落ち…」
カーペットの上で光ってるのは、ダイヤとピンクダイヤのクレセントムーン。
「……あったあ」
「何?」
「あった、あったよ、一哉くん!」
それは、あたしの宝物。あなたがくれたから、世界にたった一つの宝物。
「ねえ、一哉くん。やっぱりイヤリングだと落とすから、ピアスの方がいいよね?」
「そうだな。もう少しの辛抱だな」
よく分からないけど、宝物が増えるのが楽しみです。