行列のできるケーキ屋さん

「うわあ、おいしい」
「鈴原さん、すごいよ!」

 歓声があがった。家庭科の調理実習で、今日のメニューは、筑前煮、あじの塩焼き、炊き込みご飯。むぎは、クラス中の賞賛の的になっていた。調理の 手 際の良さもさることながら、料理の盛りつけ、見栄え、味、どれをとってもむぎ達のグループの料理は群を抜いていた。正確には、むぎの料理である。昼は教 師、夜は家政婦の二重生活をこなしながら、あの生活能力は皆無なくせに注文の多い4人を満足させ続けてきたのだ。お嬢様揃いで家事などろくにやったことも ない祥慶生徒に太刀打ちできるはずもなかった。

「ホントに。あんた、また腕を上げたわね」
 夏実が感心して、きれいに面取りされた里芋を一口つまんだ。
「あんた、お菓子づくりの腕も上がったよね。この間のシフォンケーキ、すっごいおいしかったよ」
「私も、あれならどこに出しても恥ずかしくないと思いますわ」
 十和子も素直に頷く。

「ねえ、今度の調理実習、ケーキ作りだったよね。鈴原さん、ちょっと余分に作ってくれない?材料こっそり持ってくるから」
「私も欲しい。いいかな」
 別のグループの女の子達が、話に加わってきた。
「え? べつにいいけど。何なら、明日にでも作って持ってくるよ」
 別に、次の調理実習まで待たなくてもいいのにと、むぎは屈託なく言った。
「え〜、だってー」
「うん、今度でいいよ」
 笑いながら言葉を濁す彼女たちに戸惑っていると、夏実が助け船を出した。
「その日がいいんだって。だって調理実習の後なら、堂々と男の子にお菓子、渡せるでしょ?」
 最後の仕上げは自分の手でできるから、全く手作りじゃないというわけじゃなしと続けられ、気づかなかった自分に赤くなる。自分も彼がいるというのに、ど うもこうしたことにアンテナが働かない。
「分かった。しっかりたっぷり作るよ」
 思わず必要以上に力を込めて頷いた。


「むぎ、今度学校でケーキ作るんだよね」
「ひゃっ!」
 後ろからいきなり抱きつかれて、むぎは思わず包丁を落としそうになった。瀬伊はお構いなしで、むぎの髪に顔を寄せている。
「うーん、いい匂い。このシャンプー、僕好きだな」
「〜〜瀬伊くん。危ないよ、もう」
 調理中は危ないからと何度言っても止めない瀬伊に、いつもと同じ言葉を繰り返すと、
「うん、ごめんね」
とちっとも悪びれない笑顔で謝った。絶対本心から言っていないと分かっていても、この笑顔に弱い。

「それでね」
 声のトーンが少し下がった? むぎが振り向くと
「他の人にケーキをあげたら、ダメだよ」
 瀬伊が耳元でさらりと言った。
「……どうして調理実習のこと、知ってるの?」
「女の子達が教えてくれたよ。今度は特別おいしいケーキを作るので持ってきますって。どうしてって聞いたら、君が生地を作るからって」

 どういうことー!? とむぎは心の中で叫んだ。瀬伊にあげたいという子もいたとは気づかなかった。あの後、妙に頼みに来る子が多いなと思っていた ら、そんな人までいたのか。
 瀬伊にケーキをあげたい女の子達も、手の内を明かしたら効果もないのに(しかもむぎが作ったというのは一番知られたくないだろう)つい話してしまったの は、瀬伊の威力だろう。瀬伊にあの笑顔で見つめられ、
「教えて。……ね?」
と囁かれれば、落ちない女の子はいない。

 それは反則だと、内心膨れていたら、
「何考えてるの?」  
瀬伊に、頬をぷにっとつままれた。
「何でもない」
「で、他の子にはあげないよね、ケーキ」
 念を押されてしまった。始めに頼んできた子はクラスの男子にあげることが分かっていたが、あんなに期待されていては断りにくい。
「え〜と、女の子にあげるのはいいよね? 生地だけだし」
「だーめ。その子が食べるんならいいけど。他の男にあげるかもしれないでしょ」
 うわ。ビンゴだ。伊達にたくさんの女の子とつき合ってた訳じゃないんだなと、頭の片隅で妙に感心しながら
「でも、家ではいつも作ってるじゃん。瀬伊くんの他にも、一哉くんや依織くん達だって一緒に食べてるよ」
「あれは、僕もいるからいいの。ホントは一哉達にも食べさせたくないんだけど」
 涼しい顔で言われて、こっちの方が赤くなる。でもでも……と答えあぐねていると

「まだ、反論する気?そんなにあげたいなら……」
 また声のトーンが変わったことに気づいたときには、遅かった。

「僕のところに持ってきてね。それで許してあげる」

「はい? 僕のところって……」
「決まってるじゃない。僕のクラスだよ」
 にーっこり。綺麗な笑顔でむぎに告げる。
「無理! ぜーったい無理!」
「調理実習は第五時限だから、放課後すぐにね。僕、教室で待ってるから」
 逃げたら承知しないよと言外に言われて、むぎはへたり込んだ。
「でも、瀬伊くん、さっき他の子のケーキを受け取るって……」
「そんなこと言ってないよ。僕のところに持ってきますって彼女たちが言ってただけで、僕は受け取るなんて一言も言ってないもん。それとも、君は受け取っ て欲しいの?」
「え、や、……欲しくはないけど」

 でも、瀬伊のところまで持っていくという案も勘弁して欲しい。放課後、まだほとんどの人が残っているだろう彼のクラスへケーキを届けるなど、目立 つ ことこの上ない。教室中の視線が――。
 その光景を想像して青くなったむぎが「他の子にはあげないから」と言ってみても、「それは当然」と自分の思いつきに 浮かれてしまった瀬伊には聞き入れてもらえず。止めに

「僕、ブルーベリーのケーキがいいな」

 のんきな言葉にむぎが思わず拳を握りしめたのは言うまでもない。


 その日が来てしまった。

 ……周りの視線が痛すぎる。
 むぎは茶色の紙バックを提げて、とぼとぼと廊下を歩いていた。一年が二年の教室前を歩いているだけでも目立つのに、あ の 事件のことで顔が売れているむぎは、行く先々で噂の的だ。夏実と十和子はみんなでお茶会をするからとつき合ってくれなかったし(ひと騒動あることが分かっ ているのに、巻き込む気にはならなかった)気分が明るくなるはずもない。
「うう。とにかく渡すだけ渡して、とっとと帰ろう」
 J―2クラスの前で一瞬躊躇する。そこへ、
「鈴原。こんなとこでなにしてんだ?」
「麻生くん」
 鞄を肩に引っかけた麻生が出てきた。
「えっと、瀬伊くん、いる?」
「アイツならまだいるぜ。いつもなら、下手すると授業終了前にいなくなってんのに、珍しくいるな」
「珍しく……ね」
 やはり全く忘れてもいなければ、見逃してくれる気もないらしい。
「どうした? なんかあったか?」
 よっぽどヘンな顔をしていたのだろう。心配そうな麻生に、むぎは無理やり笑った。
「大丈夫。あ、昨夜冷蔵庫に、作り置きのミニピザ入れといたから、よかったら食べて」
「サンキュ。じゃな」

 麻生を見送って、むぎは腹をくくった。扉を勢いよく開け、つかつかと女の子に囲まれた瀬伊のところへ歩いていく。
「すみません、一宮先輩」
「なあに、むぎ」
 輝くばかりの笑顔で、瀬伊が答える。彼女達がほうっとため息をつくのを無視して、
「これ、どうぞ」
 顔の前に紙バックを突き出す。「それじゃ」とくるっと廻れ右をしたむぎは、次の言葉に固まった。

「むーぎ。食べさせて♪」

 一体何の嫌がらせなのよー! とむぎは叫びたくなった。実際叫んでいるのは、周りを取り囲んでいる女の子達なのだが。
 黄色い声のまっただ中、ともか く一刻も早くこの場を立ち去ろうと、ドアの方へ歩き出した彼女の手を瀬伊がつかんだ。耳元で一言。
「ケーキ、あげちゃったんだね」
「それ、誰から……」
 ぎぎぎ、と音のしそうな動きで振り向いたむぎは、瀬伊の後ろに、黒い翼はもとより尻尾まではっきり見えたような気がした。
「フフ、ちょっとね♪ 僕がこの後何するか、知りたい?」
「ぜ、全然!」
「じゃあ、やってくれるよね。……ちゃんと食べさせてね、いつもみたいに」
 最後だけはっきり聞こえるように言ったのは、絶対わざとだ。
 半べそ状態で、むぎが紙袋を開ける。中から出てきたのは、こぢんまりしたホールケーキ。周りから小さく感嘆のため息が漏れた。真っ白な生クリームにブ ルーベリーの紫がよく映えたそれを見て、瀬伊が思わず微笑んだ。周りがざわつく。

 真っ赤になりながらそっとケーキを瀬伊の口元に運ぶむぎと、嬉しそうにそれを食べる彼の周りには、始めこそ殺気だった集団が取り囲んでいたが、間 もなく観客は誰一人いなくなってしまった。

「明日からどんな顔して学校に来ればいいのよ〜!」
 フォークを振り回しながら叫ぶむぎに
「別に何も困らないじゃない。何にもヘンなこと、してないし。……今まではね」
 瀬伊は涼しげな笑顔を向けた。ぎょっと顔を上げると、
「ちゃんとリクエスト、聞いてくれたんだね。とっても、おいしいよ。ありがと」
 ふわりとバニラの香りが近づいて。額、瞼、頬、鼻先と啄むようなキスを落とす。
「んっ……。瀬伊、くん。ここ、教室……」
「でも、一番おいしいのは、やっぱりこれ」
 くらりと目の眩むような甘い笑顔を間近で見たら、もう言葉なんか出てこない。ねだるように降りてきた唇に目を閉じて、むぎは彼の制服をぎゅっと握りしめ た。


 翌日どうにも気になったむぎは、ケーキの生地を渡したクラスメイトにその後の首尾を聞いてみた。
「あ、ごめんね、鈴原さん。実はあの生地で作ったケーキ、あげなかったんだ」
「へ、そうなの。……もしかして、おいしくなかった?」
 内心ほっとしながらも、続きを聞いてみる。
「ううん、おいしかったんだけど。やっぱり、下手でも手作り、がんばってみようって思って」
「そっか。すごいね。その気持ち、絶対に伝わるよ」

「うん、瀬伊様のおっしゃる通りよね」
「は?」

 何でここに彼の名前が出てくるんだろう。

「この前『お菓子を手作りする子って、可愛いよね。やっぱり男ってそういうのに弱いんだ』って言ってらしたの。他のラ・プリンスの方々ともそうい うお話をなさっているんですって」
 嘘つけ! という叫びはとりあえず胸の中にしまっておく。
「だから、みんな手作りケーキに夢中になっているの。あの瀬伊様と一緒にいるのに、知らなかったの?」
「……知らなかったよ」
 瀬伊の他の男にケーキを渡させない作戦は、見事に成功したらしい。


 ちなみに、瀬伊を除く三人のラ・プリンスが大量のお菓子の処分に頭を抱える羽目となったのは、この後すぐのことである。




あとがき

 調理実習で作った物を好きな子にあげるのは、お約束ですよね。麻生なんか、さんざん逃げ回っているのでは? しかしああいう 学校では、一体何を調理実習で作っているんだろう。ちょっと気になります。
 読んでくださってありがとうございました。

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