家政婦タイムを終えたむぎが、突然セーターやウィンドブレーカーなど、もこもこと服を着込み始めた。何でも今日夏実と見たプラネタリウムがいた
く気に入って、夜の星空を見たくなったらしい。プラネタリウムの解説で
「今夜の8時に見られる星々です。ぜひ家に帰ってから、本当の星空をお楽しみ下さい」
と言われ、その気になったようだ。
「ちょっと遅くなっちゃったけど。瀬伊くん、一緒に星を見ない?」
とむぎに誘われて、瀬伊はむぎと屋上に出た。
今夜の空は晴れている。嬉々として頭上を見上げたむぎは
「あれ? 星が少ない!」
と素っ頓狂な声を出した。
「そりゃ、そうでしょ。プラネタリウムは人工的に星が見やすくしてあるんだもん」
瀬伊が笑いながら言った。
「この辺じゃ、こんなものだと思うよ。これでも明かりが少ない方だろうから。目が慣れるまでちょっと周りを見ていたら?」
確かに遠くの街明かりは明るいものの、周囲の家の明かりは少な目だ。この辺りは高級住宅街なので、意外に家の数も少ない。しばらくすると目が慣れて、
さっ
きよりも多くの星が見えてきた。
「あー、なんか見えてきた。あの四角っぽいの、今日プラネタリウムで教えてもらった……えーとえーと」
「まあ、思い出せなくてもいいんじゃない? むぎが全部覚える必要はないんだし」
「それって、あたしには無理って言ってんの?あ、あっちのは覚えてるよ。確か……」
「三つ星。オリオン座だね」
「あー、何で言っちゃうのよ! もう少しで言えるとこだったのに」
「だって有名だし。君の言葉を待ってたら、夜が明けちゃうよ」
「そんなにかからないもん!」
そんな話をしているうちに、結構冷えてきた。
「うー、結構厚着してきたんだけどな」
手をこすりながら首を縮めるむぎに、
「もう夜は冷えるからね。僕も寒くなったから、もういいや」
瀬伊は、あっさり言った。
「えー。……でもしょうがないか」
むぎもまだ見ていたかったが、さすがに冷え込みに勝てない。渋々戻ることを承諾した。
階段を下りてダイニングに入り、温かい紅茶を飲むと、やっと人心地が付いた。
「きれいだったねー。またあんな星空見たいな」
むぎが話していると、瀬伊は突然立ち上がった。
「むぎ、もう一杯、紅茶を煎れてよ。僕、ピアノ室に行くからさ」
「え、ここで飲まないの?」
驚くむぎに、ニッコリ笑って
「ピアノ室に持ってきて。二人分ね」
とそれだけ言うと、瀬伊はさっさとピアノ室へ降りていった。
「もう、急なんだから。……もしかして、かなり冷えて機嫌悪くなっちゃった、かな」
とりあえず手早く紅茶を煎れると、カップとポットを載せたトレイを持って、むぎもピアノ室へ向かった。
小さくノックをして部屋へ入ると、瀬伊はピアノの前に座っていた。
「ありがと。紅茶を持ってソファーに座って。僕のはその辺でいいから」
「どうしたの? 瀬伊くん」
むぎの言葉にはかまわず、瀬伊は部屋の明かりを消した。
「え、何。見えないよ!」
驚いて立ち上がりかけたむぎの耳にピアノの音が聞こえてきて、むぎはもう一度ソファーに座り直した。思わず目を閉じる。
聞き覚えのない、でも何処か懐かしいメロディー。何かが胸の奥に広がり、小さな光が瞬き出す、そんな音。見えないはずの星々が空一面に輝いてい
る。
静かに目を開けると、室内には星明かりが満ちていて、その中で瀬伊がピアノを奏でている。最後の音が、静かに部屋に溶けた。
「今日の星を見て、ちょっとね」
ピアニストの顔から、いつもの瀬伊に戻って笑う。
「すごい、部屋の中なのに、星空が見えたような気がしたよ。瀬伊くんってすごいね」
むぎの顔に満面の笑みが浮かんだ。それはまるで満天の星。
「君には、いつでも星空を見せてあげるよ」
それはとても簡単なこと。いつも僕に見せてくれる輝きを、音に換えて。
「また一緒に見よう」