宣言通り、むぎは部屋で自分のベッドに入った。見慣れたカーテンの色、シーツの肌触りもそのままで、むぎは久しぶりにぐっすり眠れる――はず
だった。
なのに。
「どうして眠れないの〜」
体は疲れているはずなのに、睡魔が訪れてくれない。枕もぽんぽんと叩いて何度も形を整えてみた。気分を変えようとホットミルクをいれて飲んでも効果がな
い。羊を数えても、ぬいぐるみを抱きしめても、目は冴えるばかり。
「枕を替えた訳でもないし。なんか違うのよね……。なんだろ」
寝返りを打ちながら考える。気持ちよく眠るときのイメージ。いい匂いがして、ふんわりと暖かくて、安心できて――。
「……あ、れ?」
浮かんでくるイメージは一つの形をとる。
え、でも、そんな。むぎは必死で違うイメージを浮かべようとした。でも、浮かび上がるものは一つ。
「瀬伊くん……」
目を閉じて浮かぶのは、瀬伊の顔。髪の香り。抱きしめられたときの自分にぴったりとくっついたあの温もり。額に張り付いた髪をそっと撫でる長い
指。頭の下の優しい腕。
いつだって、あの香りと温もりの中で眠りについた。嫌な夢も見ないで、安心しきって。
枕が替わったら眠れないなんて、そんなデリケートさは持ち合わせていなかったはずだけど、むぎの中には、もう瀬伊がいる。
こんなに瀬伊が大きな存在になっていたとは思わなかった。
一つ屋根の下に瀬伊がいる。それだけで満足してもいいはずなのに。そんなことを考えなが
ら、また寝返りを打った。カチカチと時計の音がやけに響く。
もう、我慢できなかった。
そっとベッドから出ると、ピンクのカーディガンを羽織る。そのまま扉へ向かって歩いていくと、コンコンと微かに
ノックの音が聞こえた。
「……誰?」
「僕だよ」
小さく答えるのは、今一番聞きたかった瀬伊の声。
思わずドアノブを強く引っ張った。そこにいたのは、同じくカーディガンを羽織った瀬伊。
「なかなか眠れないから、起きてたら紅茶でも煎れてもらおうと思って。……起きてた?」
むぎの格好を見やって、目を細める。
「その格好。何かするつもりだった?」
おかしそうに問いかける瀬伊に、むぎはあわてて話題を変えようとした。そのとき、ぽつんと瀬伊が言った。
「ねえ、どうしたらよく眠れるのかな。むぎ、知らない?」
「え、あっと、ホットミルクを飲んだり、枕直したり……かな?」
「そう。それで眠れるようになる?」
「う、それなりに……」
赤くなりながら、何とか答える。
「ふうん。何だか今夜は眠れないんだよね。僕、あんまり眠れなくなったことってないんだけど。旅先でも困ったことないのに、こんなことって初めてかも」
からかってくるのかと思いきや、思いのほか困っているらしい。
「瀬伊くんは、よく眠れる方法、知ってる?」
「知ってるっていうか、それしかないなって思うことならあるよ。僕限定だけど」
……もしかして、やっぱり。むぎは思い切って聞いてみた。
「瀬伊くんは、枕替わると眠れない人?」
「前の僕は、そんなことなかったけど。今の僕は、そうなんだろうね。……君も気づいているんでしょ」
苦笑して瀬伊が答える。
「まあ、今晩は大人しくしているよ。あれだけ君が言うんだし」
瀬伊の言葉に、むぎは顔を上げた。
「枕」
「え?」
「あたしも、枕が替わると寝られなくなったみたい」
「僕と一緒?」
「ん、そうかも」
「じゃあ、やっぱり一番よく眠れる枕に戻さなくっちゃね」
ふわりと瀬伊が微笑んだ。つられてむぎも笑う。二人でくすくす笑い合ったが、不意にむぎが真面目な顔で瀬伊を見た。瀬伊も、きょとんとむぎの赤い顔を見
返
す。
「むぎ。どうかした?」
「えーっと、その。……ほどほどにしてね。」
小さく聞こえたその言葉に目を丸くした瀬伊は、一拍遅れて吹き出した。