眠れない夜の処方箋

 瀬伊と夜を過ごすようになってから、むぎは密かに悩んでいた。
 夜を一緒に過ごすのは、他の3人のこともあるから なる べく避けたいけれど、気づいたら彼の腕の中で朝を迎えるというのも、何度かあって。さすがにむぎも気になってきた。
「瀬伊くん。今日は夜一緒に寝ないからね」
「えー、どうしてさ」
「だって、もうずっと、夜、一緒なんだよ。一哉くんには、『おまえの部屋、ちゃんと使ってるんだろうな』って、嫌み言われるし、麻生くんは、会うと真っ赤 な顔 で、目を逸らして逃げてくし。依織くんには『朝、よく頑張って起きてるね』って、感心されちゃってるんだよ!」
「じゃあ、よかったじゃない」
「よくないよ! いい、今夜は駄目だからね!」
 むぎは、びしっと指を突きつけて宣言した。

 

 宣言通り、むぎは部屋で自分のベッドに入った。見慣れたカーテンの色、シーツの肌触りもそのままで、むぎは久しぶりにぐっすり眠れる――はず だった。

 なのに。

「どうして眠れないの〜」
 体は疲れているはずなのに、睡魔が訪れてくれない。枕もぽんぽんと叩いて何度も形を整えてみた。気分を変えようとホットミルクをいれて飲んでも効果がな い。羊を数えても、ぬいぐるみを抱きしめても、目は冴えるばかり。
「枕を替えた訳でもないし。なんか違うのよね……。なんだろ」
 寝返りを打ちながら考える。気持ちよく眠るときのイメージ。いい匂いがして、ふんわりと暖かくて、安心できて――。
「……あ、れ?」
 浮かんでくるイメージは一つの形をとる。
 え、でも、そんな。むぎは必死で違うイメージを浮かべようとした。でも、浮かび上がるものは一つ。

「瀬伊くん……」

 目を閉じて浮かぶのは、瀬伊の顔。髪の香り。抱きしめられたときの自分にぴったりとくっついたあの温もり。額に張り付いた髪をそっと撫でる長い 指。頭の下の優しい腕。
 いつだって、あの香りと温もりの中で眠りについた。嫌な夢も見ないで、安心しきって。  
 枕が替わったら眠れないなんて、そんなデリケートさは持ち合わせていなかったはずだけど、むぎの中には、もう瀬伊がいる。

 こんなに瀬伊が大きな存在になっていたとは思わなかった。
 一つ屋根の下に瀬伊がいる。それだけで満足してもいいはずなのに。そんなことを考えなが ら、また寝返りを打った。カチカチと時計の音がやけに響く。


 もう、我慢できなかった。
 そっとベッドから出ると、ピンクのカーディガンを羽織る。そのまま扉へ向かって歩いていくと、コンコンと微かに ノックの音が聞こえた。
「……誰?」
「僕だよ」
 小さく答えるのは、今一番聞きたかった瀬伊の声。
 思わずドアノブを強く引っ張った。そこにいたのは、同じくカーディガンを羽織った瀬伊。

「なかなか眠れないから、起きてたら紅茶でも煎れてもらおうと思って。……起きてた?」
 むぎの格好を見やって、目を細める。
「その格好。何かするつもりだった?」
 おかしそうに問いかける瀬伊に、むぎはあわてて話題を変えようとした。そのとき、ぽつんと瀬伊が言った。
「ねえ、どうしたらよく眠れるのかな。むぎ、知らない?」
「え、あっと、ホットミルクを飲んだり、枕直したり……かな?」
「そう。それで眠れるようになる?」
「う、それなりに……」
 赤くなりながら、何とか答える。
「ふうん。何だか今夜は眠れないんだよね。僕、あんまり眠れなくなったことってないんだけど。旅先でも困ったことないのに、こんなことって初めてかも」
 からかってくるのかと思いきや、思いのほか困っているらしい。
「瀬伊くんは、よく眠れる方法、知ってる?」
「知ってるっていうか、それしかないなって思うことならあるよ。僕限定だけど」

 ……もしかして、やっぱり。むぎは思い切って聞いてみた。
「瀬伊くんは、枕替わると眠れない人?」
「前の僕は、そんなことなかったけど。今の僕は、そうなんだろうね。……君も気づいているんでしょ」
 苦笑して瀬伊が答える。
「まあ、今晩は大人しくしているよ。あれだけ君が言うんだし」

 瀬伊の言葉に、むぎは顔を上げた。

「枕」
「え?」
「あたしも、枕が替わると寝られなくなったみたい」
「僕と一緒?」
「ん、そうかも」
「じゃあ、やっぱり一番よく眠れる枕に戻さなくっちゃね」
 ふわりと瀬伊が微笑んだ。つられてむぎも笑う。二人でくすくす笑い合ったが、不意にむぎが真面目な顔で瀬伊を見た。瀬伊も、きょとんとむぎの赤い顔を見 返 す。

「むぎ。どうかした?」
「えーっと、その。……ほどほどにしてね。」

 小さく聞こえたその言葉に目を丸くした瀬伊は、一拍遅れて吹き出した。



あとがき
 あの二人は、もともと枕が替わると寝られないということはないだろうなと思います。最初は瀬伊がもっとイジワルなお話でしたが、わりとほのぼのに。
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