この間のやりとり以来、瀬伊はちょっと調子が悪いと大げさに騒ぐ。でも甘えられるだけ甘えてくれるのが、正直嬉しい。
むぎは、手早くホットレモンを作って、瀬伊に手渡した。
「瀬伊くんって、昔から風邪を引くとこんなに騒いでいたの?」
「まさか。これはむぎ限定」
それもどうかと思うが、続きを聞いてみた。
「そうだな……。大抵ピアノを弾いていたんだよね」
「へ? 風邪引いてるのに?」
「うん。熱が出ててもピアノ弾きたくて仕方なくてさ。しょっちゅう抜け出してピアノの前に行ってた。ピアノの音が聞こえたりすると、もうテコでも離れな
かった。」
「そんなことしてたら、治るものも治らないよ……。瀬伊くんが風邪引いたら、ピアノから隔離するしかなかったんだね」
呆れ顔で言いながら、ふと引っかかったことがある。
「瀬伊くん。もしかして、青樹……先生、瀬伊くんのこと思って、一人にしてたんじゃない?」
「え、どういうこと?」
瀬伊が眉を顰める。なんとなく思いついただけで確信があるわけではないが、言った方がいい気がして、むぎは瀬伊に向かって話してみた。
「だって、瀬伊くん、ほっとくとピアノのとこへ来ちゃって動かなかったんでしょ。……だったらピアノの音も聞かせないようにして、ベッドで寝かせておくし
か
ないんじゃない?」
「……分からないけど、さ。」
数拍おいた沈黙の後、ふと目をそらしながら瀬伊が呟いた。冷めたホットレモンを飲み干して、カップをテーブルに置くと、
「ごちそうさま。じゃあ、僕は下へ行くよ」
瀬伊の後ろ姿を見送りながら、何故か知らないはずの青樹の姿が浮かんだ。
「瀬伊くんを休ませるのは大変ですね」
心の中で話しかける。
あの愛しい妖精と暮らした人。きっと悪い人じゃないよ。
知らない人なのに、何故か彼のことがわかるような気がした。
あとがき
この作品は、「そばにいるよ」のその後です。あちらに書き切れなかった青樹という人物を補えればと。『瀬伊は小さい頃不幸だった』んじゃなくて、果て
し
なく不器用な人に育てられていただけだと思いたい。で、「ちゃんと愛されていたんだよ」って伝えたい思いを込めて。