蛍(後編)

 むぎ、傷ついていた。

 道の両側の木々や草むらの中に目を凝らしながら、瀬伊は先ほどのむぎの顔を思い出していた。自分の不用意に言った言葉に、一瞬見せた顔。泣き出し そうなそ の顔は、まるで見捨てられた子どものようだった。きっと無意識なのだろう。すぐに怒った顔に紛れてしまったが、それだけにむぎの心の中をかいま見た気がす る。
 見せてあげたい。蛍を。
 むぎが瀬伊のために見せたがっていた蛍は、もしかしたらむぎ自身が一番見たがっているのかもしれない。


 ふわり。目の前に明るい光が飛んでいく。
 とにかく闇雲に手を振り回す。でも当たり前だが、捕まえられるはずもなかった。ふいと頭の高さを超え、梢の影の葉に留まる。瀬伊は、目に付いた蛍に次々 と手を伸ばした。しかし、何度やっても手が届かない。
 
 たかだか虫一匹捕まえるのに、こんなに一生懸命になったのは初めてかもしれない。
 息が切れて、瀬伊は一度上げかけた腕を下ろした。むぎは、どう言っていたの だろうか。

「大丈夫だよ。慌てずに蛍の飛ぶところをよく見てればいいの。すると、手を出すタイミングが 分かるよ」

 さっきは聞けなかったむぎの言葉が、すんなり心に染み込んでくる。

 瀬伊は周りを静かに見回した。すると、少し先の草むらで、黄色い光が明滅している。
 逃げないように、できる限り気配を殺してそっと近づいた。
 一歩手前で止まり、瀬伊はそうっと手を伸ばした。後少し。手のひらを広げたところで、ふいに蛍 は 宙へ舞い上がった。
 今度は慌てない。飛んでいく先に手をかざすと、ふわりと右の手のひらに蛍は止まった。優しく左手で蓋をすると、待っていたむぎの元へ 走っていった。


「瀬伊くん!……それって、蛍!?」
 目を丸くして瀬伊を見るむぎに、笑顔を返した。
「ごめんね。待たせちゃって」
「ううん。あたしも、しつこかったから。ごめんね、瀬伊く」
 下を向いて謝るむぎを、瀬伊が遮った。
「いいから。このまま放っておくと、蛍が可哀想だよ。ホントは捕まえちゃいけないんでしょ?」
「うん。……ねえ、見てもいい?」
「もちろん」

 手の中で息づくように光るそれを見るために、胸の前で、瀬伊はそっと両手を開いた。二人は、夢中で手の中をのぞき込んだ。
「わあっ。すごい」
 思わずむぎが歓声を上げる。闇の中で輝く蛍光色に照らされて、瀬伊とむぎの顔が浮かび上がった。
「フフ。笑ってくれたね、むぎ」
「瀬伊くんも、笑ってくれた」
 二人は互いに顔を見合わせて笑った。

 瀬伊の手からついと蛍が舞い上がり、闇の向こうへと消えていった。




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あとがき
 むぎ誕記念のSSです。少し長めだったので、初めて前後編に分けてみました。
 今年蛍狩りに行ったとき、たくさんの蛍の美しさにすごく感動したので(人の多さもこのまんまでしたが)、帰り道では早速妄想を始めてました。最初は瀬伊 ×こむぎで考えていたのですが、ケンカした時点でむぎ設定に。『がむしゃらにがんばる瀬伊』というのがキーです。瀬伊が他人のことでがんばったのは、むぎ が初めてだと思うので。
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